自分支援機構

10年後には黒歴史

ポエム(20191104)

 お久しぶりです。支援機構です。書くべきネタがあまりないのでポエムをつぶやいていこうと思います。

搾精病棟と私 ~俗世に背を向けて~

 昨今「搾精病棟」(リンク先R-18)なるパワーあるエロゲが流行っているようですね。なんと11話まであるかなり長大な同人エロゲです。具体的な内容はまあTogetterでも見ていただくとして、とにかくインパクトある登場人物と壮大なシナリオが好評のようです。
 流行っているので買おうかとも思ったのですが、正直インパクト以上の魅力を感じることができませんでした。私はM向け作品を一切楽しむことができないのです。
 多少偏見も入っているのですが、インターネットのオタクのかなりの割合は嗜好がMよりです。例えば、女の子に踏まれたいとかいじめられたいといった発言には常に共感が示されます。一方、潜在的にかなりの数がいてもおかしくない嗜虐嗜好の人間の性癖がカジュアルに語られることはまずありません。別にこれらのことが問題があると言いたいわけではないのですが、インターネット加虐マンの私としては疎外感にも似た寂しさのような感情があります。
 というのも、当たり前なのです。インターネットにおける被虐嗜好の主張は、主張者本人の側に加害のベクトルが向いているいわば自虐の構造であるためにカジュアルな性癖の暴露とみなすことができます。一方、嗜虐嗜好を主張する際には主張者以外に被害を受ける者の存在が(明示的にではないにせよ)伴ないます。被害を受ける者が主張者本人ではない以上自虐の構造を持ち込むことができず、カジュアルさを保った主張を行うことができません。要するに、S趣味カミングアウトはM趣味カミングアウトより構造的な深刻さが伴うわけです。
 少しつらい。

嗜虐嗜好と倫理観の強烈な矛盾

 上に書いた通り、私は致命的な嗜虐趣味の持ち主です。かわいそうじゃない(がんばらないと)とぬけない。女性がひどい目に遭っていることに強い興奮を覚えます。あまり具体的に好きな分野があるわけでもないのですが、例えば催眠や監禁や脅迫によって女性に屈辱的な行為を強いるタイプの作品が本当に好きです。夏ノ鎖最高。
 その一方で、私はある程度の倫理観を持っているので、女性をひどい目に遭わせたりひどい目に遭っているコンテンツを見ると強く心が痛みます。2次元じゃないとあまり興奮できない。まかり間違って被虐趣味の女性を交際するようなことがあったとしても、私はほとんど暴行を行うことができないでしょう。そんなことはできない。
 つまり私は、自分の、自分でも笑ってしまう位旺盛な性欲を満たすための行動を取ることが一生できません。ここから先、自分の価値観が大きく変わって他人の痛みに対して鈍感になったならばうまくいくこともあるでしょう。しかし、そうなってしまった私はもう私ではありません。私は強烈に矛盾した性欲と良識の矛盾を一生抱えたままで生きることになるでしょう。矛盾を抱えて生きるのもまた人生ではありますが、果たして何歳まで発狂せずに生存できるのでしょうか。読者の各位はもし私が捕まったら「アイツはやると思っていた」とマスコミにコメントしてくださいね。

社会人になるということ

 ちょっと真面目っぽい話をしましょう。テーマが真面目っぽいだけで別に真面目な話ではないのですが。
 私は来年2020年の4月から社会人になります。25歳にしてようやく他人から金をもらって暮らせるようになるわけです。自分で言うことではないですが、ここまでの私の人生は順風満帆と言えるものな気がします。あまり文化資本に恵まれたとは言いにくい家庭に生まれたわりになんだかんだでそれなりの大学に進学し、そこで修士課程まで修了していい感じに企業に勤めようとしています。強烈な性欲と最悪のオタク趣味を持ち合わせていることを除けば本当に順風満帆な人生です。何も言うことがない。
 それはそれとして、どこか心に満たされない「何か」があるような気がします。それが何なのか自分でもわからない。この「何か」を埋めるのが、本能的な自己顕示欲に近いものであることはわかるのですが、具体的に何をすれば満たされるのかわかりません。とりあえず、就職してからは時間にも懐事情にも相当な余裕が生まれるはずなので、就職後にはいろいろな活動に手を染めていきたいと思っています。こう言っておきながら日々の雑事に忙殺されて何もできないのが人生というものなのでしょうが。